サム・コーラー(12歳)―皆に好かれ、気立てのいいサム。
近所のペットが逃げだしても、彼に頼めばちゃんと見つけてくれる。
教会でもお行儀がいちばんいいし、年少の子どもの面倒もよくみるし、親切で指導力もある。
校長も「ときどき荒れるよね」と文句を言いながらも、感じのいい少年と褒めてくれる。
ただし、一つだけ問題がある。
サムの母親は、勤勉な主婦であると同時に、仕事を持ってよく働いている。
ところが、彼女からしてみると、うちの息子がなぜ評判がいいのかわからない。
「おとなしく、気立てはいいけれど、簡単なことを何度も何度も頼まなくては、やってくれない」と、母親は一人ひそかにそう考えている。
外面のいいピーターパンシンドロームは珍しくない。
気立てのいいサムは、その一人である。
おませでもなければ、頑なでもないし、エンジェルのようでもない。
とくに意地悪もしないし、人を操ろうともしない。
それどころか、真っ先に人を助けようとするし、身の危険を顧みない。
それなのに、家事手伝いはよほどのことがないかぎりしたがらない。
どうしてこの少年は、他人の手助けにはこうも積極的なのに、家庭ではかくも無責任なのか?
この食い違いの真意をつかむことこそ最善の道だ。
それが、この12歳の少年の心理学的研究の結論である。
実はサムのようなスタイルの無責任さこそ、いちばん危険である。
なぜなら、それは子どもたちがもっとも落ち込みやすいものだからで、しかも誰も助けないでいると、ピーターパンシンドロームをつくりあげる頑固な土台になってしまうからである。
彼は三人兄弟の一番上で、九歳と七歳の弟がいる。
公立の小学校の六年生で、成績はそれほど努力しなくてもオールBは取れる。
担任教師の話だと、好感を持てるがときどきハメを外すことがあるという。
ある時、罰として教室の外に出されたそうだが、ドアから出るとき、通りすがりに「この女!」と小声で言ったそうだ。
あんないい子が・・・と女教師は驚きで口が利けなかった。
しかし、本当のサムは、気立てがよいどころか”怒れる若者”なのだ。
サムがなぜ”怒れる若者”になったかというと、まず第一に、彼の体が変化しはじめ、子どもっぽい外観がそぐわなくなってきたことがある。
独立心が芽生えてきたのに、依存的な状況の中で暮らしている。
とくに過保護の母親から逃げ出したいけれど、それも後ろめたくてできない。
こうした感情は、思春期の初期に特有のもので、やがて消えてしまう。
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人付き合いは怖いという曲がった信念の治し方 - 切れない人付き合いからの脱出
長い間、人付き合いが怖いサムを苦しめたこの有害な怒りには、一つの原因があった。
彼は、父親に愛されていない、と感じていたのだ。
サムの父親は典型的なワーカホリックだ。
妻や子どもたちのことは、ほとんどほったらかしである。
サムは父親の愛情を得ようとして背伸びして、つとめて大人っぽく振る舞うが、しょせん子どものやることだから大したことはない。
必死に父親に愛されたいと願うのだが、なぜかいつも無視される。
せいぜい、立派な子どもになって、周りの人が、お宅のお子さんはできがいい、と言ってくれたら(実際、みんなはそう言っている)父親も見直してくれるのでは、と考える。
それでも父親は見直してくれないのだが、もちろん、すぐに計画どおりにいくわけもない。
すると無視されたのは、努力が足りないからだと、けなげに反省し、もっと立派になってみんなに褒められて父親のウケを得よう、と決心する。
すると、何をするにも、ものすごい圧迫を感じるようになる。
父親の顔色をうかがい、たえず怖がってる子どもができてしまう。
あれをしてはいけない、これをするべきだ、と自己規制でがんじがらめにしていく。
そういう自分に、子どもは腹を立てている。
この堂々巡りからの唯一の息抜きは、自宅で反抗することだ。
母親は「僕にべた惚れだから、少々悪いことをしても怒らない」と、怒りのかっこうの捌け口にされてしまう。
さらに、乱暴でなげやりになるのを正当化する、もう一つの理由がある。
それは父親の真似を何でもして、父親のようになれば、自分を愛してくれるのでは、という考えだ。
不幸にも、男尊女卑志向の父親は、家事は女の仕事と決めつけて、まちがっても手伝う、とは言わない。
そういう父親を見ているから、息子も手伝わないのが正しい、と考えるようになる。
最後にもう一つ忘れてならないのは、気立てのよいサムが、まだ12歳の子どもだということだ。
大人にならないようにあらゆることをするのも、この年代の特徴である。
それにしても、サムのすることはアンバランスすぎる。
人のために何かしてあげよう、気に入られたいと考えすぎる。
つまり、12歳の子にしては、彼はいい子ぶりっ子すぎるのだ。
それによく観察すると、見かけに反して、サムは責任感を正しく身につけているのではなく、すごい不安があるために、”責任ある”行動をしているにすぎない。
他人から褒められて、はじめて束の間の安心を得るだけだ。
こうした感情的なもつれが、しだいにしこりとなったわけだが、サムは父から見捨てられたように思い、ますます世の中の承認を得ようと無理な背伸びをする。
彼がそうやって努力すればするほど、責任ある行動を嫌うようになる。
責任ある行動をするのは、人から認めてもらうときにだけするごまかしとしか考えないようになり、その結果、責任感はけっして心の中に定着しない。
医師のところに来た時、すでにサムのピーターパンシンドロームは、すっかりその土台が出来上がっていた。
サムがこれを直せるか否かは、家族全体の問題であった。