ある若手ビジネスマンが、「私は、自分の考えが正しいと思うときは、上司に対しても、同僚に対しても強く主張し、つらぬくべきだと考えている。
安易な妥協は、職場をよくする道ではないと思うからだ。
ところが、そういう私を、周囲の人たちは横車を押すとか協調性がないとかいって、上司まで私を敬遠している。
私の態度がまちがっているのだろうか」といっていた。
彼の考え方は、たしかに抽象論としては正しい。
しかし、正しいとは誰が決定するのかということを考えてみなければならない。
世の中には、自分では正しいと思うことでも、はたからみれば、必ずしも正しいとはいえないことが少なくない。
ものごとには真理らしいものはいくつもあるが、どれがほんとうの真理であるかは、なかなかわかるものではない。
若いうちは、とかく、<正か、さもなければ邪><善か、さもなければ悪>というように、二者択一的にいずれか一方に決定づけようとする傾向があるが、組織は、そのような単純な決定論でできあがっているものではない。
また、正しいとか正しくないということも弾力性をもったもので、ときと場所と相手によって変化するもので、絶対不変なものではない。
正しさと正しくないという葛藤で人付き合いの重さを左右する。
■参考記事
人付き合いは怖いという曲がった信念の治し方 - 切れない人付き合いからの脱出
自分の考えが正しいとして押し通そうとすることは、ものごとを考える場合、自分の先入観からある方向を決めてかかり、それに固執したり、また、問題の不都合な面だけを取り上げ、全体的な面から考えてみようとしないからである。
意見や考え方の相違が生じたならば、たとえ自分の考えが正しいと思っても、まず固執を捨てて、虚心坦懐にまったく別な角度から問題を検討してみる習慣を身につけなければならない。